菊楽恵さんへ
私去年の10月末の頃にとんでもないあほなことをしてしまいました。
私は今でもまだ親と両親と住んでおります。
私には実は自閉症の弟が一人います。
父は客家系で母は外省系で二人は非常に保守的で厳しい親なのです。
弟が自閉症と診断されて以来、親は全ての期待と希望を私に託したのです。
私は幼い頃からおりこうさんで親の言うことを全てはいはいと受け止める子供ではなく、常に両親と色々な面で衝突していました。
当時台湾で中学を卒業した私は何のとりえもなく、公立の高校に受からず、両親は元々私を軍事学校に送るつもりもありました。(私はのびた君よりも男らしくないので、ある意味父は私を軍事学校という地獄へ送るつもりだったのです)
その後『所詮お前には何のとりえもないから何処かの専門学校の日本語学科で勉強するしかないな』と言われ、私はある専門学校の日本語学科に入学するのを決められました。
その学校は5年制で初めの三年は寮生活が強いられていました。
勿論、小さい頃から親の元を離れたことのない私にとってこの知らないクラスメートの5人と共に一つの狭い部屋をシェアし、共同生活を展開するのは容易ではありませんでした。
その後、何人かのルーム・メイトと生活上のことで揉め事が起こりました。
他人への気配りや思いやり。例えば夜もう就寝時間なのに大声で喋ったり、騒いだりする。
毎朝、宿舎の先生は一つ一つの部屋が綺麗に整理されているのかをチェックするのです。
汚いと3回記録されると罰として金曜日の放課後家に帰ることを許されず、土日に残って学校の整理などをやらされるのです。
あとは鼻炎アレルギーに悩まされている私をちっとも考えず、もう10月なのに冷房をガンガンつけて、私がちゃんと事情を説明しボリュームを少し小さくしただけでご立腹する。
など色々な事件が起こり、お人よしの私もついに我慢の限度が切れ、激怒しました。
その後彼らは私をのけ者にして嫌がらせや心理的ないじめ、例えば言葉の脅し、言語での侮辱などで私を余すところなくいじめました。
その夜は彼らは円を作って私を真ん中に閉じこみ、『かごめ、かごめ』のような場面をイメージしてください。
『お前生意気なんだよ!』 『お前はこの部屋だけではなくクラス全員に嫌われてんだよ!』
当時一体何をされるか分からない私はあまりの恐怖と不安に襲われ、怒りや不満を胸に秘め、ただ黙って奴らに言われるのを我慢し、時間が経つのを必死に待っていました。
その後彼らは去って行き(でもルームメイトだからやはり同じ部屋にいてただ私の傍から離れて行っただけなのです)
私は怒りと不満と恐怖を抑えきれず、一人で机に顔を隠して静かに泣き出しました。
その時、私が親友だと思っていた人(同じくルームメイトでさっきのいじめに直接参加せずそばで見ていました)が私の机に近付き、『お前さあ、この機会でちゃんと自分自身を徹底的に反省したら?もう一度言うけど、お前のことが嫌いなやつはこの部屋だけじゃなく、クラスの連中もお前のことがキライなんだよ』とタイミングよくとどめを一発刺してくれました。
あの時は屈辱で悲しくてすぐ家に飛び帰りたい気分で一杯でした。
しかし、夜の宿舎出席はもうとった以上特別な理由(風邪、怪我)そして親の許可を得る限り宿舎からの外出は許されませんでした。
その後両親にも明かしましたが、返ってきた答えは『みんなこんなに大勢の子供達がお前と同じ環境で生活しているのに何故お前にだけこんなことが起こるんだ?』
『あんた自分で反省したことある?』 『きっとあんたが悪いんだよ』と返ってくる答えは全部このような答えで結論はお前が悪い=他の子はこんな問題に遭っていないのに何故お前だけ?
という結論で終わり、私は親に完全に絶望しました。
勿論転校の意欲も述べましたが親は耳を貸さず完全に無視しました。
クラスの担任も『鍾クン、君の考え過ぎなんじゃないの?』
『ほらさあ、男の子達って辛辣な物言いや毒舌で乱暴な言葉遣いをする時もあるんだから、先生はあなたの意識しすぎだと思うわ』
と担任のおばさん先生も全然僕のことなんかどうでもいいって態度でした。
その時は学校では辛くて苦しく、家に帰っても親とは衝突するばかりだし、私にとって温もりや安らぎのある場所は全くなかったのです。
その時の自分も性欲が芽生え始め、自分は男性が好きだと言う事実に気付き始めました。
その時私は黒人の男性と白人の女性の異人種ハードコアポルノと日本人女優とアメリカの黒人男優とのアダルトビデオにはまっていました。
実際自分が初めて米国のハードコアポルノを見たのは小学校5、6年生の時でした。
その時初めて性欲ってこういう感じなんだなって分かりました。
自分が注目してるのは殆ど男優で女優はただどやって男優とファックするのかを注意していました。
そしてアメリカ人って大胆にリラックスな気持ちでセックスをエンジョイできることを不思議に思い、羨ましく思いました。
ちなみに小学校の時はじめてみた黒人と白人女性がエッチした時の男優は黒人男優のショーン・マイケルズでした。 下の画像の方。


この前日本のAV女優と日米合作のアダルトビデオにも出ていた記憶があります。
その後学校と家庭の両方で苦痛を感じた私はこの世に何の未練もなく死んでもいいかなと思っていました。
実際に自殺する勇気がない私はインターネットのチャットルームでセックス相手を探し、一度会ってみましたがオーラルセックスの要領が悪いと同時に相手の顔は気持ち悪く全然私の好みやタイプではありませんでした。
結局そいつのペニスを口に入れることはできず(少しだけ唇と接触しましたがやはり口に入れるのはできず拒否反応と吐き気と嘔吐が私を襲い私はノーと表明し、すぐにその場を去り家へ帰って何回も水でうがいを繰り返し、ベッドで一人でめそめそ泣き始めました)
その後は掲示板であるゲイの男性を知り合い、欧米のゲイポルノを彼から貰いました。
この男性との出会いは全く偶然で最初私は掲示板で『台湾で黒人のゲイと知り合うことのできる場所はありますか?』と書き込みをして、その男性が外人と知り合える掲示板のアドレスをくれて、私と彼は友達になりました。
最初はある黒人と知り合いましたが彼は彼氏があって、その彼氏は目が見えないか耳が聞こえないどちらかの障害者の方でした。
私はその黒人にキスを奪われその後自分はただのおもちゃだと知り私は激怒しました。
携帯のメールでニグロやAssholeなど自分が知っている卑語を使い尽くし、彼と絶交しました。
後に自分の大事なバージンをきもい中年おじさんに奪われることと比べると初キスを奪われるのは大してことではないと思いますが少なくとも当時の自分にとってファースト・キスを黒人詐欺師に奪われるなんて『セックス・アンド・ザ・シティ』のシャーロットと同じ純情でピュアだった私はどうしても怒りを隠せませんでした。
その後、その掲示板でフランス人のおじいさんと知り合いました。
当時私は米国好きで、まだフランスびいきではなく、イタリア、スウェーデン、ドイツやポーランドましてウクライナやロシアやアルメニアなどのの国々に興味や関心はありませんでした。
私も黒人詐欺師のパターンと同じそのフランス人おじいさんのマンションへ行きました。
私達はベッドで全裸になりオーラルセックスのみしました。
私は何だか異常に喉が敏感で尺八をするのが上手くできず吐き気や嘔吐に襲われ、そのおじいさんが私のぺ○スを奉仕してくれました。
しかし親と住んでいる私は自由な時間はあまりなく、この関係が親にバレルのを極度に恐れ、エイズに感染するのを恐れその後彼の携帯の番号も失くし連絡を失いました。
その後編入生試験で大学に受かった私は大学の日本語学科に入り質の良いクラスメートやいい先生に恵まれ、楽しい大学生活を送れることができました。
その後大学卒業が間近に迫り、親は今後の進路について私に聞きました。
その時私は特に考えずに『フランスへ渡り、語学の勉強をして俳優になりたい』と述べました。
勿論父や母からは小ばかにされ、『あんた本気で言ってんの?』
『英語すら上手くできないお前に一体その自信の源は何処だ?』と聞かれ。
『広末涼子ちゃんが山葵でフランス語会話を一語一句丸暗記できるんだったら私も広末涼子ちゃんみたいに一生懸命頑張れば何とかできると思う』と言い返しました。
『ゴン・リーみたいな女さえ国際進出できるのなら、何で私にはできないと言うの?』
『私もソフィー・マルソーみたいに気品があってエレガントだから私のアジア人である美しさを理解してくれるフランス人は必ずいると思う』と連発で言い返しました。
クリスティン・スコット・トーマス、シャーロット・ランプリング、ジェーン・バーキンやジャクリーン・ビセットのような人達みたいに私もフランスで新しい人生や希望が私を待っているのかもと自分でそう思いました。
両親は『お前にそんなたわけごとを叶えさせる余分な金など我が家には一銭もない』と言う結論で私はどうすることもできなくなりました。
その後親の命令に従い大学院に受かった私は今依然としてなす術がない状態です。
去年の夏休み、私は親と冷戦状態でした。
クラスメートの多くは日本へ交換留学生として日本で楽しい生活を送ることができるのに対し親はそんなお金などないときっぱり断りました。
従兄弟のお姉さんや弟たちはイタリアやフランス、アメリカへ行ったことがるのに対し、私の親は一銭も私に外国へ行かせませんでした。
小さい頃から厳しい躾とスパルタ教育を受けてきた私は親の言うことを聞かない場合やテストの成績が悪かったりするとひどく叩かれる仕打ちでした。
特にほっぺたをひっぱたかられるのはしょっちゅうあることでその後テレビのニュースでこのような行為によって聴力にダメージを与えるというニュースが発表されるまで私はよくこのようなお仕置きをされてきました。(それでも時々父は自分をコントロールできない場合はこの方法を使います)
飯島愛の自叙伝を読んだ後、彼女の心境や親に対する不信や憎悪、大人に対する不信感、生涯ずっと愛されることを求め続けた彼女の気持ちは私には痛切に伝わって共感できる部分は多いのです。
夏休みの時私は殆ど父と母と言葉を交わしませんでした。
そして父は私が田舎のおばさんの家へ遊びにいき留守の間に私の部屋に入りパソコンを作動し、中身の内容を見て私がホモセクシュアルであることに気付きました。
私が家に帰り、父は私に私のパソコンの中で彼が発見した事実を私に問い詰めました。
私は嘘をつきたくないので全て正直に打ち明けました。
フランスやイタリア、スウェーデンやノルウェーに憧れていたのも海外へ行って自分の恋を探し、悠々自適でうちの家族や親戚から逃れたかったのだと一部始終全部隠さずに認めました。
父はただ黙って口で『なんてこったい、家にはお前の弟のような自閉症で普通じゃない子供が既に一人いるってのに。』 『家は呪われたのだろうか』などと一人で自問自答し、涙が閉め忘れた蛇口のように父の顔を横切りました。
その後父は『お前これからどうするつもりだ?』と私に聞き。
私は『私は自分の問題で他人を騙したり利用することはできないから、何処かの女の子と結婚して異性愛者を装うのは不道徳でこんな悪質でひどいことは他人にできない』と答えました。
父は私が留守の時に病院の先生に相談し私の状況をその先生に話したらその先生は私は仮性のホモセクシュアルで本当のゲイではないと父に話したのです。
今でも父はやはり私が異性愛者に戻ることを期待していると私は思います。
とりあえず、無理に結婚を強いないと約束してくれました。
ですがその後私はある日ネットで欧米ボディビルダーの写真を見ている所を父に目撃され『お前は何て不潔で淫らなんだ』と叱られました。(別にポルノじゃないのに、文句があればシュワちゃんやボディビルディング連盟に文句を言ったらどうなのさ)
運が悪かったのはちょうどその時弟がかんしゃくを起こしている最中で、父とは母は怒りを私に全て当てつけました。
そして私も怒りを抑えきれず婉曲で優しく『私も一応人間だから性欲があってもおかしくないじゃない』と不満を述べ
『もし私が何の性欲もなければとっくに私はお坊さんや神父やファザーになってるよ』と私も自分が好きでこんなことをしてるのではないという意思を明かしました。
まじおもろいのが家の母はすぐに『なんでお坊さんや神父さんたちはちゃんと我慢できるのにお前はできないの?』と答えました。
おいおい、お母さん、あんたは人の話をちゃんと聞いてるのかよ。俺はお坊さんや神父さん達とは違うってさっきから言ってるじゃん。私はちゃんと中国語で話していて外国語なんか使ってねえよ。
特に母は深夜も私が起きてるか寝てるのか突撃チェックするんです。
一人でリラックスしてマスターベーションできる空間はないし、外のゲイバーにも行けない自分は本当に北朝鮮に監視されてる田口八重子さんや横田めぐみさんみたいな感じです。
その後私は極度の憂鬱と未来への不安に襲われ続けている状態です。
もう自分は25歳だし、外でバイトの経験はゼロで、台湾のバイト機会は日本みたいに多くないし、親に頼らず自立して外国へ行きたいけど実現できそうなめどが見えない。
あと兵役の問題もあるし、私体力もスタミナもないし生きて帰って来られるかな。など色々な問題に悩まされ、ネットのチャットルームであるおじさんと知り合い待ち合わせしてエッチしました。
当日そのおじさんの顔を見ると私は自分の好きなタイプじゃないと分かっていたのに彼の車に乗り、モテルで自分のお尻のバージニティを失いました。
勿論相手のおじさんはコンドームを着用したし、アナルセックス(私が受身)だけで、ブロー・ジョッブ(尺八)はしていないし、精液を飲んだり唇触れたりしませんでしたがやはりエイズのことが心配で自分は何て馬鹿なまねをしたのだろうと今でも凄く後悔しています。
今週私はこの恥ずかしくてけしからん行為を従姉妹のお姉さんたちに白状しました。
勿論二人は凄く怒って『あんた一体何考えてるの?』とひどく叱責されました。
『知らないおやじの車に乗ってモテルでエッチするなんて、もし変態や変質者に遭ったらあんた生きて帰ってこられるとでも思ってたの?』とがんがん叱りました。
その時私は『何だか自分が飯島愛が芸能界を引退する宣言のように、私も自分がこれ以上台湾にいても未来や将来性が全く見出せないし、どうせ、もう25歳で私は後数年後経てばじじいになり、色気や才能もないこのような私を愛する人なんている訳がない』と絶望感を語りました。
もう自分なんかどうなってもいいとヤケクソになり、エイズになって死んじゃえばもうこんな台湾で苦労せずに済むと私はそう思いました。
勿論、経済的に恵まれていない我が家じゃ何もかも絶望で希望なんて全然見えっこないし、台湾元は日本円やドルやユーロみたいに強い貨幣じゃないので私が外国へ行ける可能性なんてゼロ。
たとえ自分で頑張ってお金を稼ぐとしても、現在の経済不況や金融危機の状態で私には何のチャンスもない。
たとえお金が足りた時がきても、その時はもう40,50才の年頃で、中高年や老人の留学や海外へ移住するケースなんて古今東西前代未聞だと思う。
元々お色気がない私は、頭は空っぽで筋肉隆々のナイスボディはないし、ペニスはちっちゃいし、アジア人だし、こんな私を好きになってくれる外国人がいるとはどう考えても不可能。
今は旧正月の終わりを待ち、病院へ行ってエイズの検査をすることに決めました。
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